松戸市民なら恐らく知っているであろう、松戸中央公園。
その松戸中央公園には松戸市に長年住んでいる人でも知らない意外な歴史があります。
松戸市民でも知らない幻の城 相模台城
松戸市民でも知らない幻の城 相模台城が築城されたのは1241年、建長元年のこと。
第6代北条長時(ほうじょうながとき)が館を構えたことに始まりました。
相模台の由来、ここにあり!
松戸中央公園周辺は相模台という地名が使われているが、この相模台の由来は第15代北条相模守高時が居住したことに端を発しています。
相模台城、そして滅亡へ
1538年、永禄七年に国府台城付近に布陣する小弓公方(おゆみくぼう)軍と松戸城に布陣する北条氏綱(ほうじょううじつな)・氏康(ほうじょううじやす)の軍による戦い第一次国府台合戦が起きました。
国府台合戦とはなっていますが、実際に激しい戦いになったのは相模台城付近であるとされています。
第二次国府台合戦により小弓公方は滅亡。相模台城もその後城郭として形を成していたかは定かではない。
今も相模台城の名残は残っている
実際に相模台城付近に行っても姿かたちはありませんが、今も相模台城の名残はかなり残っています。
聖徳大学内には相模台戦跡碑(経世塚)がある
聖徳大学内には相模台で戦いがあったことを示す石碑、相模台戦跡碑(経世塚)があります。
聖徳大学の警備の方に「経世塚が見たいのですが・・・」と一言断ると見学させていただけます。
いくつもの相模台城の名残の様に見える場所がある
よく見ると確かにお城だったのかもと思えるような場所がいくつもあります。
「ここは入り口だったのかな?」と想像しながら散策すると、普段は何気なく歩いている道でも楽しみが倍増しますね!
↑ここが相模台城の入り口だった?
↑松戸中央公園が相模台城の敷地内だったと考えられている
↑相模台公園も相模台城の一角だったと考えられている
↑ここから敵が進軍してきていた?
細い道で蛇行していることもあり、敵の進路を妨害するにはうってつけの場所と考えられる!
↑相模台公園に行くためのこの急な階段!当時は階段も無いのでこれでは敵も正面から攻めるしかない?
こういう風に足を運んで推理していると、松戸がまた違った見え方に見えるのでおすすめです!
相模台城跡へのアクセス
相模台城跡はイトーヨーカドー松戸店を5階から抜けていくのがおすすめです!
相模台城周辺にもたくさんのお城がある!
松戸市民おなじみの戸定邸。
徳川家の子孫が松戸市に寄贈した場所ですが、相模台城があったころ、この場所に松戸城があったそうです。
松戸市役所周辺には根本城があったりと以外にも多くの城があります。
城があったとされる場所には共通点があって、どこも台地になっているんですよね。
この記事を参考に夏休みの自由研究などに役立ててください。